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春告鳥

  • 執筆者の写真: YUKI HIMEJI
    YUKI HIMEJI
  • 2022年3月20日
  • 読了時間: 3分

暖かくなってきましたね。と言いますか暑いと感じる日さえ出てきました。うちで飼育している犬も、今までは少しでもあったかいと感じる日向を探してウロウロと、今は反対に日陰を探してウロウロしています。春風吹く茅ヶ崎は梅が咲き終え、もうすぐ桜の時期になります。


梅を見るとちょうど一年前、僧侶の研修生活をしていた山口県のお寺での事が思い出されます。大きな梅の木の下で、斧を振り下ろして薪を作ったり、チェーンソーで丸太を切ったり、レンガを集めてピザ窯を作ったり。自然に溶け込みながらよく身体を動かしたなぁと懐かしく思っています。時が経つのはあっという間ですね。


「春」ですが、春そのものは色も形もございませんので目で見ることはできませんよね。でも、私たちは五感にもたらされるさまざまなはたらきによって春を感じることができます。


その中のひとつ、ホー、ホケキョ。


山口のお寺ではこの時期、春告鳥といわれるウグイスの大合唱で春の訪れを感じることができます。


このように、暖かい日差しを肌で感じたり、桜の蕾が膨らむ様子を目で見たり、土の上の雪が溶けていく匂いを鼻で感じたり、春そのものは見ることはできないのだけれど、何かを通して春を感じることができます。


この感じる力。大人になるにつれてどんどん鈍っているなぁと気がつきました。


日々損得勘定で動いたり、科学的に説明できるものしか信じなかったりしていると、目に見えないものを想像したり感じたりする能力が衰えるような気がします。まるで埃まみれになった窓ガラスみたいに心のガラスも曇ってきます。


カラダの中は小宇宙とよく表現されるように、治療師としてはとても知り得ることのできない人体の不思議に向き合っていく必要があります。患者さんの表情や声色、立ち姿、皮膚筋肉の強張りや体温などなど、自分の感覚をフル稼働して想像的に芸術的に施術にあたらなければなりません。(根拠に基づいて科学的に治療していくということが大前提です)ですので、感度が低くなるということは死活問題でもあります。


今まで感度が鈍っていたことにすら気付かずに暮らしていましたが、一年間、山口の大自然の中で生活しているといかに自身の心のガラスが曇っていたかを気付くきっかけをいただけました。野に咲く花が、草が、木が、風が、鳥が、大自然が私に大事な事を気付かせてくれました。


窓が汚れていることに気付けば、あとは磨くだけですね。


窓ガラスが綺麗だといろんなものが見えてきます。


大自然の美しさだったり、人の優しさだったり、自分の内なる声だったり。


そういった目に見えないけれども、自分に向けられているさまざまなあったかい「はたらき」を感じることができれば幸せなんだなと思います。


もちろん、これからも窓ガラスに埃はついていきますが、汚くなったらその都度磨いて掃除していけばいいんです。定期的にココロとカラダのメンテナンスをする。私もその一助になれたらなぁと思いながら仕事をしています。


最後までお読みいただきありがとうございました。


YUKI


 
 
 

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